「no titled tales」




母親が寝込んでしばらく経った。少年はひとりぶらぶらと森の中を歩いていた。
村には居づらい。村人達の囁きが嫌でも耳に入ってくる。

(力の持ち腐れだ・・・)(私たちを見殺しにするのだ・・・)

「正義よりもただしいことよりもだいじなことがある」

彼は日頃父のいっている言葉を暗誦する。意味を全て掴んでいる訳ではないが、この言葉こそ村人達の悪意をはね除けている武器なのだと理解していた。
でも、これを言うとき、父は悲しそうな顔をするのだ。まるでその言葉しか持つものがないかのように。だから少年は決まって父に反論する、父さんは強い黒魔法が使えるじゃないか。少年にはやはり父の言葉の本質は聞こえていないのだ。父親は泣き笑いのような顔で少年の頭を撫でる。

何となく不機嫌な気持ちが押し寄せてきて、少年は道端の石を蹴った。
石は思いがけない軌跡を描いてぽーん、と飛んだ。それから、いたっ、という小声。少年は少なからず驚いた。まさか人がいるなんて、その人に当ててしまうなんて!
彼が駆け寄ると、そこには彼より幼い少女が肩を撫でさすっていた。少女・・・違う、彼女は少年の姿を認めると、ムッとしたように宙に浮かび上がった。

「何するのよ!」
「ごめん、ワザとじゃないんだけど・・・怪我した?」
「してない」
「よかった、ごめん・・・ねぇ、なんで浮かべるの?」

早々に謝ったためか、少女は少し機嫌を直したようだった。そして少年の羨望に満ちた眼差しを見つめ返して、ちょっと笑った。

「あたし、人間じゃないもの」
「えっ、じゃあ、モンスター?モルボル?
モルボルじゃないわよ!!シルフ・・・シルフって、知ってる?」

そこで少女はまた笑った。知らないだろう、と得意げな笑み。しかし少年は知っていた。大きく頷いて彼女に返す。

「風の妖精でしょ?」
「あ、知ってるの?・・・なーんだ、つまんないな・・・」
「でもシルフは「ドワーフのせかい」にしかいないんだ。何でこんな所にいるの?盗んだバイクで走り出した?」
それを知ってることに突っ込めばいいのか、バイクはないだろうって突っ込めばいいのか!・・・違うわよ、あたし、追放されたの。分かる?追放って。ばいばいって、それでおしまい」
「・・・」

少女はけらけら笑いながら手を振る真似をした。あどけない顔に似合わぬ背伸びっぷり。少年は考えた。それが本当ならこの子は大分大変なのではないだろうか。
黙り込んだ少年を訝しんで、少女がその顔を覗き込んだ。少年はまだ考えている。

「ねぇ、何とか言ったらいいじゃん」
「・・・」
「もしもーし」
「・・・」
「もう、じゃあたし帰るよ、じゃあね」
「・・・どこに」

背を向けた少女は、ぴたり、と動きを止めた。そしてそのまま少年を振り返る。彼は浮かぶ少女を見つめている。

「どこに・・・って、家よ、家」
「でも、追放されたんでしょ」
「・・・そうだけど!どこでもいいでしょそんなの!」
「良くないよ、」
「アンタには関係ないじゃない!」
「うちにきなよ」
「・・・は?」

今何と?少女が少年をみた。少年は依然として真っ直ぐ少女を見ていた。
少年に他意はないだろうが、彼女は少なからず動揺した。その隙を突いて、少年はなおも言い募る。

「だって追放されたんでしょ」
「そうだけど」
「ぼくの父さんも外から来た人なんだって、だからもしかしたらきみのこと知ってるかもしれないし」
「そうだけどォー・・・分かった、アンタ寂しいのね」
「きみが一番寂しいんじゃない?」
「う・・・」

そこで少年はにっこり微笑んだ。言葉に詰まる少女は悔しげに彼を見たが、やがてふーっと息を吐いた。
そして一言「おうちはどっち」とだけ言った。少年はくすくす笑った。



「その前にね、母さんに薬になる木の実を取ってあげたいんだ」

少年はちょっと立ち止まって少女に話しかけた。少女は首を傾ける。

「木の実?どんなの」
「赤っぽくて、でも黄色くて、上の方は緑で」
「うん」
「右側は青くて左側はピンクで身がシルバー」
どんだけカラフルな木の実?!
「あっ、身はゴールドだったっけ」
そもそも木の実の身はメタリックじゃなくない!?!
「それでなければ全部赤いやつ」
「ああ・・・それなら知ってる」

こっち、と。少女は宙に浮いたまま、少年を先導した。
途中に蔦を編んだような籠が見えた、あれが「家」だったんだろうか、と少年は思ったが、少女は何も言わずにその場を通り過ぎる。
いくつも茂みを越えると、やがて水音が聞こえてきた。途端、少女が顔を顰めた。

「あっ・・・やだ、またいるんだ・・・」
「何が?」
「知らない子供。いつもここに一人で来るの」
「一人で・・・」

少女はやだー、とか言いながら茂みに紛れていく。残された少年は、そっと茂みの中から顔をだした。
一人、青い髪の子供が湖を横切っていた。年は自分と大して変わらないものの、少年に比べ段違いに速く泳いでいる。少年はその泳ぎっぷりに感心した。
そうして見ているうちに、子供は湖の真ん中に差しかかっている。渦を巻いていると悪名高い湖だ、少年は息を止めて成り行きを見守った。しばらく・・・水音だけが響く世界。やがて子供は中心部を渡り終わった。少年が息をついて身じろぎする、そしてその音に子供が振り返った。

「あっ・・・」
「誰?・・・あぷっ」
「あっ!!」

その瞬間に子供は水に呑まれた。少年が急いで立ち上がる。それから後先考えずに湖に飛び込んだ。水に全身が浸かった後、少年は初めて恐怖を思い出した。思ったよりずっと深い湖。これでは助ける所ではない、がぼりと大きく水を飲んでしまった。冷たさがどっと流れ込む。・・・死んでしまう!!
・・・その途端、湖が大きくうねった。驚いている少年を他所に、渦は彼を中心にして廻る。急に水深が浅くなって、水の中から先程の子供が手を差し伸べてきた。

「・・・掴まれよ」
「えっ」
「早く!!」

言われるがまま、少年はその手を掴んだ。直後、物凄い強さで体が引っ張られる。耐え切れずに少年は目を堅く瞑り・・・そして再び目を開けると、足は大地にしっかりと着き、目の前で件の子供が苦い顔をしていた。

「なんだ、お前全然泳げないんじゃん」
「・・・深かったから怖くなったの!」
「じゃあなんで来たんだ、おれは泳げるんだぞ」
「沈んだから」
「・・・。」

子供はその表情のまま服を着始めた。そこでようやっと自分は凄く恐ろしいことをしていたことに気が付いた。大して泳げる訳でもないのに、着衣水泳だ。服に染み込む水の冷たさも相まって、少年は身震いした。

「寒い」
「しょうがないだろ」
「でも・・・凄いね、あれ何?なるとみたいだ、おいしそう」
食べる気か!?

少年は次いで先程の渦を思い出していた。子供は苦もなく渦を作り出していたようだが、彼の知る限り水を操る魔法は存在しない。子供は今度はちぇ、と悪態をついた。そのまま頭を横にして数回振っている。耳に水が入ったらしい。

「どうってこと・・・ない。昔からできるんだ、別に何もしてないのにさ。だからそのせいで、村の災厄、気味悪いとか言われてこのざまだ」
「気味悪い?」
「・・・なんでもない」

それから頭を真っ直ぐに戻すと、強く首を振った。髪の毛から跳ね飛ばされた水が辺りに飛び散る。近くで見ると、子供の髪はずっと深い青・・・深い海のような色だった。肌は血管が透き通るような。少年がなおも彼を見つめていると、子供は不機嫌そうに見返してきた。

「何だよ、もういいだろ、助けてやったんだから、ありがたく思えよ」
「ありがとう」
「・・・そういう意味じゃなくって」
「分かってる、でも助けてもらったんだもんね」
「・・・」
「うわ、アンタ、こいつと話してるの?」

子供が押し黙っていると、唐突に藪が割れて少女が出てきた。その瞬間、両者とも顔を大きく顰める。何かと問えば、以前子供が泳ごうと湖畔に近づいたとき、(ようするに素っ裸のときだ)、少女と偶然遭遇してしまったらしい。お互いぷんすか頬を膨らます様子を見て、少年はつい笑ってしまった。何笑うんだ!

「サラウンドで怒られた」
「いや、サラウンドはどうでもいいよ」
「そうだ、お前たちさっさと帰れよ」
「嫌よ、アンタが帰んなさいよ、お家どこなの、いつもいつも一人でばっか来てさ」

先程も聞いたような言葉を、今度は少女の方が繰り返した。途端少年は唇を噛んで俯く。あら、と少女が口を噤んだ。
災厄、子供自身が呟いた言葉だ。その真意は掴みかねるが、やはりこの子供も少女と似たような境遇なのか。
少年は自然な成り行きで手を出した。それを子供は不思議そうな瞳で見つめる。

「じゃあ、行こう」
「・・・どこに?」
「ぼくのとこ。ぼくも友達がいなくてさみしかったんだ」
「友達・・・。」
「ほらァ、やっぱ寂しかったんじゃない」
「うん」

少女がさっきの口論を蒸し返す、しかしそれに少年は笑顔で頷いた。子供はその瞳のまま少年の手を掴んだ。さっきとは逆。それから少年はその手を引いて歩き出した。森の奥、それから彼の家へと帰る道。

(正義なんかじゃない、ただしいことじゃなくて、大事なのはたぶん、こういうことだ)

そうして少女に付いて、少年は藪に入っていった。日はまだ長い。












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