暗い空を見上げて、リディアがいつまでも立っている。
エッジはかれこれ数十分彼女を見ているが、一向に何か始める気配はない。時々首を元に戻して二三回振るものの、直後再び空に目を向ける。雪が降らずともミシディアの冬は大分寒い。彼女の奇行(後で聞けば確かに理由もあるのだが、何しろ唐突に行動する)は今に始まったことではないが、いい加減呼び戻そうと席を立ったところで、彼女の向こうから歩いてくるセシルが目に止まった。エッジは立ち上がった勢いをどうしようとしばらく逡巡していたが、やがておとなしく元の椅子に腰掛けて、宿屋の窓から様子を伺うことにした。

両手一杯に食料の袋を抱えたセシルは、やはりリディアに話し掛けたようだ。彼の足はリディアの脇で止まり、リディアは首をセシルに向ける。よくよく見れば、リディアの手には何かがある、彼女はそれを数度指差しながら、何かをセシルに伝えているようだ。向こうを向いているものの、寒さのせいで大げさに動く頭がそれを教えてくれる。リディアの言葉が終わったのか、やがてセシルが大きく頷いた。さてそろそろ戻ってくるだろうとエッジはまた席を立ったが。

「・・・?」

彼らは動き始めなかった。いや、それどころかセシルまで首を反らして空を見上げている。何かセシルが言い、それに答えてかリディアの後ろ頭が揺れる。数少ない通行人も不思議そうに彼らを見ながら通りすぎるが、二人は気にする様子もない。リディアが大きく身震いしたが、すぐにセシルがマントを取って彼女に被せた。となれば彼こそ寒々しい出で立ちだが、随分頑丈なものだ、セシルは相変わらず立ち続けている。
エッジは再三椅子に戻った。近付いて訳を問うのは簡単だが、ここは当ててやろうと思ったのだ。訳の分からない行動にも慣れてきたはず、やがて帰ってきた二人に、訳知り顔で言い放ってやるのだと。いい加減大人になれよ、子供みたいなことしてないで。

「子供みたいなこと・・・か、なんだ、星でも見てんのか?」

言ってエッジは頷いた。あり得る、エブラーナでは夏のある時にしか行わないが、星の並びを何かに見立てる世界もあるらしい。リディアが空を指差し、「あれが彫刻具」と言ったのは記憶に新しい。なんでそんな微妙なチョイスなんだ、と思ったことを覚えている。真相は分からない。
それならば、と彼は続けて考える。バロンも確かそんな慣習があると聞く、二人もいれば軽く幾つか見つけるだろう。案の定、二人はうろうろと首を巡らせ始めた。さぁいよいよ思った通り、とエッジが背もたれに寄りかかったところで、こんどはローザが歩いてきた。二人はしばらくそれにも気付かなかったが、やがてセシルが足音を聞いてか振り返った。随分着込んだローザが何事か言ったらしい、セシルが同意、とばかりに頷いている。彼の後ろからリディアが一言、二言、ローザも幾度か頷いて、それからマフラーを一つ、リディアに掛けた。そして・・・。

「なんだ、あいつもか」

その通り、今度は三人揃って空を見上げている。不思議な光景だった。もう人通りはほとんどない、奇妙な程の静けさの中、空を見上げる三人組。先程まで彼らを照らしていた民家の灯りがふと消えた、しかし霞む月明かりの下、三人の影は妙に色濃く地面に伸びる。
エッジは一瞬その光景に目を奪われた。ローザとセシルの髪が月の明かりにきらきら輝いている。その間に見える・・・細い立ち姿。まるで絵巻のような。唐突に月の明かりが掻き消えた。はっと気付いて頭を振る、三人は相変わらず上を向いたままだ。エッジは閉じきっていた窓を開けた。表の刺すような寒気が、暖かい内気と入れ違いにどっと入り込んでくる。感覚の無くなった頬を擦りながら彼は顔を窓から突き出した。

「おーい、いい加減戻って来いよ」

三人が振り返った。再び月明かりが輝きだす。エッジ、と呟いたセシルの息は真っ白だ。

「星なんざいつでも見れるだろう」

だから戻って来い、と。彼は言い当てたつもりであったが、三人は訝しげにそれぞれ顔を見合わせた。星座じゃない?リディアがただ一言、待ってるの、と言った。

「何をだ?こんな時間にお空で待ち合わせか、んな酔狂な奴・・・」
「あ」

彼女はそれには答えなかった。・・・いや、答える間が無かったというか。急に寒気が襲ってきたかと思うと、ちらちらと視界を何かが横切り始めたからだ。何か・・・リディアが一際大きな歓声を上げた。雪!やっぱり振ってきたよ!
端的な彼女の言葉どおり、辺りを舞っているのは雪だった。来たときは雲ひとつ無かったはずなのに!エッジは驚いた。リディアは嘆息しているローザとセシルを他所に、手のものを高く掲げ始めた。あれは、お椀?

「何やってるんだ」
「サンタさん、来たよ。ちゃんとお願いを聞いてくれた」
「はぁ?」

リディアは雪がいっぱいに溜まったお椀を抱きしめて、にっこり笑った。そして不意打ちにエッジが面食らっている間に、宿の角を駆けて行った。セシルもそれを見てゆっくりと入り口に戻っていく・・・一人残ったローザが、エッジのいる窓に近づいて来た。

「驚いた顔してるわね」

寒さに頬を赤くしながらも、ローザは微笑んでいる。随分楽しそうな表情。そりゃ驚くさ、とエッジが返した。

「サンタ、サンタ・・・そうか、そっちにゃクリスマスってのがあるんだっけな。・・・ありゃ寓話だろ」
「そう思うならそうね。でも、リディアは「かき氷が食べたい」ってお願いしたのよ」
「なんだそりゃ」

ローザは身を乗り出して、窓枠に腕をかける。木枠が二人の腕の重みを受けてぎしっと鳴ったが、彼女は気にせずそこに顎を乗せて、昔、カイポでね、と話し始めた。

「あまりにも暑かったから、「クリスマス前倒しで」って、リディアが言ったのよ。「今年のクリスマスはかき氷が食べたい」って」
「そりゃあ・・・刹那的だな」
「覚えてるかしら、ってさっき言ってね・・・だから一緒に待ってたのよ」
「ふーん・・・」

それにしては準備のいい雪だ。まさかこの歳になってまで伝説の聖人なんて信じる質ではない。なおも不信気なエッジを見て、ローザがぷっと吹き出した。そして空を指差す。暗闇に紛れて、何かが近付いてくる気配がした。空から・・・空から?そして、どっ、という音。やがて歩いてきた人影に、ローザが声を掛けた。

「お帰りなさい、カイン」

カイン・・・霜まみれのカインは「あぁ」と短く返すと、持っていた槍をエッジに手渡した。煌く飾りの付く槍。

「氷の槍よ」

ローザはそう言ってエッジを見た。目が笑っている・・・随分なサプライズだ。エッジはなんと言うものかと迷ったが、とりあえず凍えんばかりのカインに暖かい空気を送ってやった。今日ばかりは感謝の一つもしてやっていいはずだ。

「サンタさん、お疲れ」

言われたサンタは、早くそれをしまっておけ、と窓枠に手を掛けた。飛び入るのか、しかしさらに木枠がギシリと鈍い音を立てたので、ローザが彼を引き止めた。仕方がない、と首を振る。煙突から入ったらどうだ、とのエッジの言葉にカインは苦笑いで返すと、先程リディア達が向かったように、入り口を目指して角を曲がっていった。
寒気に釣られたのか、雪が本格的に振ってきている。みるみるうちに景色が白くなっていく。窓枠に乗せていた手が急にひんやりとして、エッジは驚いてその手を引っ込めた。そして未だ窓際にいるローザに声を掛ける。部屋の入り口辺りでまた歓声が上がった。

「ほら、アンタも戻って来い」
「ええ・・・あ、ほら、リディアが帰ってきたわよ」

ローザが部屋を覗き込んだ直後・・・リディアがドアをすっ飛ばした。窓の外のローザに満面の笑みを投げかけると、「シロップもあったよ、イチゴだって!」
そして来たときと同じように駆け戻っていった。セシルかカインに報告でもするのか。エッジはまあ随分やるもんだ、と半ば呆れてローザに向き直る。用意周到も過ぎる。まさか冬にかき氷ソースなど売ってはいまい、夏からのサプライズか。

「手の込んだもんだな」
「いえ・・・違う」
「何がだ?」

再びリディアとセシルの声。セシル、彼も勿論言うならば彼女の「グル」である。最初に氷の槍を思い出したのは彼だ、とロ−ザが言った。しかし・・・今上がった歓声には紛れも無く彼の驚きが混じっている・・・。何が違うんだ、とエッジがローザに問い掛けた。ローザは首を傾げて言うに。

「私達、シロップなんて買ってないわ」

再び月明かりが消えた。そして一回、澄んだ鈴の音・・・エッジは身を乗り出したし、ローザだって物凄い速さで空を見上げた。勿論そこには何もない。ただのっぺりとした月が二つ居座っているだけだ。しかし、また駆け込んできたリディアから笑顔で手渡されたかき氷を手に、ああ確かに奇跡が起きた、と二人はちょっと思った。こんな日もあるのかもしれない・・・それが、クリスマス。


Merry Xmas!



閉じる




inserted by FC2 system